「史上最も成功したソロアーティスト」としてギネスにも認定され、キング・オブ・ロックと称されるエルヴィス・プレスリーの生涯を描いた映画『エルヴィス』が公開され、再びエルヴィス・プレスリーが注目されているようです。
この記事では、未だ世界中に多くのファンがいる「エルヴィス・プレスリー」について調べてみました。
ロック界のキング「エルヴィス・プレスリー」のプロフィール
- 名前:エルヴィス・アーロン・プレスリー(Elvis Aron Presly)
- 生年月日:1935年1月8日
- 没年月日:1977年8月16日(42歳没)
- 出身地:アメリカ合衆国テネシー州メンフィス
- 配偶者:プリシラ・アン・ボーリュー(1967年〜1975年)
生い立ち
1935年1月8日、ミシシッピ州テュペロの小さな家に、後に「キング・オブ・ロック」と称されるエルヴィス・プレスリーが誕生しました。父ヴァーノン・エルヴィス・プレスリーと母グラディス・ラブ・プレスリーの一人息子として愛情深く育てられたエルヴィス・プレスリーですが、実は双子だったそうです。双子の兄は、誕生時に亡くなってしまったそうで、母親はエルヴィスに「双子の1人が死ぬと残った子は2人分の力を得る」という言い伝えを聞かせていたそうです。
音楽への傾倒
幼少時代は、父親が不渡小切手で服役するなど、貧しい生活を送っていましたが、11歳の誕生日に両親からプレゼントされたギターがきっかけで音楽へ夢中になります。
1948年、一家はテネシー州メンフィスに引越します。メンフィスは貧しい黒人労働者が多い地域で、その環境下で黒人の音楽を聴いて育ったエルヴィスは、エリス公会堂のゴスペルショーを欠かさず観にいくほどゴスペルにはまっていたそうです。
ある時、入場料を払えないという理由でショーを観にいくのを一度だけ欠席したエルヴィスを気に留めたJ.D.サムナーが「次回は楽屋口から入るといいよ」と告げ、エルヴィスは無料でショーを観ることができ、この事がエルヴィスの音楽性に大きな影響を与えたとされています。
歌手としてデビュー
高校卒業後は、トラック運転手として働いていたエルヴィスですが、1954年にエルヴィスの歌う「My Happiness」を聴いた音楽関係者がエルヴィスを売り出すことを決め、歌手としてデビューします。デビューして間もない頃、ラジオから流れる彼の曲を聴いた人は、黒人歌手だと勘違いする人も多かったそうです。
1955年、エルヴィスの成功の立役者であるが悪徳マネージャーとも言われるトム・パーカーと出会い、1956年には「Heartbreak Hotel」がシングルチャートで7週連続1位を記録しました。
映画界でも活躍したスター
歌手として有名になるにつれて、映画配給会社から出演依頼が届き、エルヴィスは大変喜び、独学で演技を勉強したそうです。約10年間で30本以上の映画に出演し、映画俳優としても成功したように見えますが、エルヴィス本人は歌メインではなく、シリアスな演技派を目指していました。
しかし、マネージャーのトム・パーカーの要請で歌うはめになり、その後もエルヴィスの映画作品は制作費を抑えた挿入歌アルバム付きのものが多く、話題にはなったものの、映画自体の評価は低かったようです。
エルヴィスが望むスタイルの映画が制作されないことと、世間の評判がいまいちなことなどで、映画への意欲が薄らいでいったエルヴィス。この事が歌手としてのコンサート活動の再開のきっかけにもなったようです。
エルヴィスが愛した妻と娘
エルヴィスは、1967年にプリシラ・アン・ボーリュと結婚しました。2人はエルヴィスが兵役中にドイツで出会い、その後遠距離恋愛を経て、8年後に結婚。翌年の1968年2月1日には、娘のリサ・マリー・プレスリーが誕生しました。しかし、幸せな生活は長くは続かず、エルヴィスの多忙やすれ違い生活などのためにリサが生まれた4年後に離婚をします。
離婚後の2人は友人関係にあり、離婚後も2人の愛娘・リサの幸せを1番に願い、リサは頻繁にエルヴィスに会っていたようで、42歳という若さでエルヴィスが亡くなった時もリサは側にいたそうです。
元妻のプリシラは現在77歳、映画『エルヴィス』でエルヴィス役を務めたオースティン・バトラーと一緒にカンヌ映画祭に登場し、話題となりました。プリシアはオースティンの演じるエルヴィスについて“まるで当時の夫をみているようだった”と絶賛していたようです。
まとめ
この記事では、『映画も公開!伝説のスーパースター・エルヴィス・プレスリーの生涯』についてまとめてみました。現在公開中の映画「エルヴィス」では、彼の死に関わっているのではと噂される悪徳マネージャーをトム・ハンクスが演じています。真実は映画の中で明かされているようです。気になる方はぜひチェックしてみてくださいね。